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● 産経フォト:パノラマ より
『
ダイヤモンド・オンライン 2011年4月4日
http://diamond.jp/articles/-/11719
「日本一のマーケッター」神田昌典の“奇跡の復興の10年”超予測!
震災後のいま、なぜ70年前の伝説の“呼びかけの作法”がビジネスを活性化させるのか?
自分は何のために生き、何のために働くのか――。
2011年3月11日を境に、そう自問自答し始めた日本人はきっと少なくないだろう。これまでの価値観を大きく変えてしまった東北関東大震災。
そうしたなかで大きな活躍をしたのが、ツイッターやフェイスブックといったソーシャルメディアだ。
ただ、その一方でデマの流布が問題となったのも事実。
大震災をきっかけに、ソーシャルメディアが社会インフラとなっていくなかで、我々はどのようにこのメディアを活用し、復興に活かしていくことが大事なのだろうか。
また、これからのビジネスは、どういうところに活路を見出せばいいのか?
このたび出版された、ロバート・コリアー著『伝説のコピーライティング実践バイブル』の監訳者で、ベストセラー作家の神田昌典氏は、「70年前の“呼びかけの作法”こそが今後の日本を支えるカギになる」と語る。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林恭子)
神田昌典(Masanori Kanda)
株式会社ALMACREATIONS 代表取締役、公益社団法人学び力育成協会創設者。上智大学外国語学部卒。外務省経済局に勤務後、ニューヨーク大学経済学修士(MA)、ペンシルバニア大学ウォートンスクール経営学修士(MBA)取得。その後、米国家電メーカー日本代表を経て、経営コンサルタントに。多数の成功企業やベストセラー作家を育成し、総合ビジネス誌では「日本一のマーケッター」に選出されている。 ビジネス書、小説、翻訳書の執筆に加え、ミュージカル、テレビ番組企画など、多岐にわたる創作活動を行うほか、複数企業の社主を務める。 著書に、『全脳思考』、『60分間・企業ダントツ化プロジェクト』 『あなたの悩みが世界を救う!』(以上、ダイヤモンド社)、『成功者の告白』、『人生の旋律』(以上、講談社)『非常識な成功法則』(フォレスト出版)、監訳書に『ザ・コピーライティング』(ダイヤモンド社)等がある。
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■震災前後で、日本人の価値観が一変!
日本が“奇跡の復興の10年”を迎えるには?
――震災前と震災後で、日本人の価値観が具体的にどう変わるのでしょうか?
ユニクロを経営する、ファーストリテイリングの柳井正会長が10億円を寄付したと報道されたが、それは10億円を持っているよりも、《困っている人に手を差し伸べることのほうが幸せを感じられる》ということ。
これは従来の資本主義を支える
“お金を持つこと=幸せ”
という思想が完全崩壊しつつあることを意味する。
資本主義システムはまだ崩壊していないが、
その根底にあった価値観が変わってしまったのだ。
これからの日本人の価値観は、
「みんなで支え合っていくしかない」
という第二次世界大戦後すぐのものに戻る。
実際、多くの若い人たちは抑えきれない衝動で、ボランティアに身を投じ、東北地方に駆け込んでいる。
また稼ぐことのできる経営者は、もはや自分のためにお金を持つことには興味を失い、ビジネスを通して被災地を支援できることに心からの幸せを感じるようになってくる。
価値観が一変した日本人が、今後どのような行動を取るか?
これは日本国内だけではなく、全世界にとてつもない大きな影響を与え続けるに違いない。
なぜならテレビによって拡大された日本の「悲劇のストーリー」は、どんなハリウッド映画を見るよりも刺激的なドラマになってしまっている。
もはや、
世界は「日本の物語」に取り込まれている。
日本人が正しい振る舞いをみせたとき、われわれのあり方は、世界中の経済活動の模範とされていくに違いない。
世界の未来は、この日本から始まることが明確になった。
――価値観が一変すると、社会やビジネスはどう変化しますか?
1990年のバブル崩壊後の時代が「失われた10年」といわれてきたのに対し、
今後の10年は“奇跡の復興の10年”と呼ばれるほどになるだろう。
そのインフラが、フェイスブック、ツイッターなどのソーシャルメディアである。
今回の震災で、ソーシャルメディアは、電話やメールが不通になるなか、社会の通信インフラとして定着した。
このインフラ変更が何を意味するかといえば、大企業に代わって、NPOやソーシャルビジネスが変革を牽引する時代に入るということだ。
今後3ヵ月間は、必需品以外がなかなか売れず、いわゆる“戦時下経済”に近い状況である。
また4月前半には失業問題、新入社員の雇用取消、会社の清算や事業整理を決断する企業も多数現れる。
そうしたなかで、稼げる能力のある会社とそうでない会社に明確に分かれていく。
稼ぐ力のある会社は、規模の大小を問わず、先頭に立って、日本全体を救っていかなければならない。
こういう危機的状況下では、多くの会社は、
既存のビジネスモデルを手放す大転換
が求められる。
東北地方からの移転ニーズに応え、賃貸マンションからウィークリーマンションの斡旋。
新築よりも中古住宅。
エステよりもデトックス。
レジャーよりはメンタルケアのためのキャンプ。
太陽光+蓄電池による計画停電への対応。
海外からの有機食材輸入ルートの確立
など、時間勝負で提供しなければならない。
そうしたことを次から次へと発想し実行できる主体は、いままで経験を積んだ地元密着のビジネスパーソンしかいないと、私は思う。
同時に、この難局は多くの会社のビジネスモデルを「フリー経済モデル」に移行させる。
自粛ムードで、営業・販促なんてできない。
派手な宣伝をやれば、バッシングされる。
となると企業が顧客にアプローチするには、無料で提供するしかない。
つまり「フリー経済モデル」が急速に浸透する。
すでに赤ちゃんのいる家庭に、安全な水を無料で配っている会社や、被災者に家賃3ヵ月無料のアパートを斡旋する会社が現れ始めている。
フリー経済モデルとは、
全部フリー(無料)にすることではなく、フリーで提供し、顧客リストを集めて、そこから本当に必要な人に対して適切なサービスや商品を販売することによって、利益を全体として成り立たせるというモデルだ。
もちろん、先の会社の例は、善意からの行動であり、利益目的ではないが、結果として、多くの顧客を魅了していくことになろう。
つまり、社会貢献意識に基づく行動が、同時に顧客を集める行動と一致し始めたのである。
その意味で、きちんと震災後のニーズに焦点を合わせられた会社は、これからの3ヵ月間、顧客リストを集めるには、結果として非常に有利な時期になろう。
たとえば、人材派遣会社が医療従事者を集めようにも平時ならなかなか大変だが、「ボランティア募集! 資格を持つあなただからこそできる仕事があります」と募れば、ほとんど広告費をかけないで集めることさえ可能な状況だ。
一方、火事場泥棒的な、あくどい商売も多数、現れている。
この期に及んでも利害関係で、平時の価格で売れ残ったものを、被災者に提供したりする会社もあるし、それに行政がまんまと手を貸していることもよくある。
しかしそんな意図は、ソーシャルメディアが行き渡った現在、おそらくみえみえで、そうした自分の利害しか考えない組織は、急速に淘汰されることを望みたい。
現在、多くの企業広報の典型的な表現は、
「被災地の1日も早い復興をお祈りしています」
だ。
こんな、祈っているだけの企業は、もはや顧客に捨てられるだろう。
祈っているだけなら、幼稚園児にだってできる。
責任ある大人が祈っていて、どうするんだ、と言いたい。
日本人はこれから思いやりや優しさを持ち、お互い支え合って、数々の大転換を実践しなればならない。
祈りではなく、行動。
鍬をもって、働きなさい。
こうした「奇跡の復興の10年」の過程を全世界が見ている。
日本人が次の時代をつくる。
人類の新しい歴史のページを開くという大きな仕事を成し遂げていく使命になるだろう。
■ 被災地とそれ以外で大きく異なる“言葉の温度”
いま、ソーシャルメディアをどう使ったらいいのか?
――大震災では、ソーシャルメディアが安否確認や情報提供などの面で大きな役割を果たした。
ただ一方で、根拠のないデマが広まったりするなど負の側面も。
今後、ソーシャルメディアを社会インフラとして正しく使いこなすには、どのような点に気をつけるべきでしょうか?
日本人は、善意で動いていると思いたい。
しかし善意があるからこそ、バカげたチェーンメールが回る。
私のところにも、
「早く700km以西に避難しなさい」
という、ありがたい善意に基づくアドバイスがたくさんきた。
だいたい、そうしたデマは同じようなフレーズで始まる。
「政治家は、すでに家族を避難させ始めた」
「政府は箝口令を敷いている」
「原発関係者が言っている」
みんなパニックボタンを押す寸前だ。
これが一番怖い事態であり、それを防ぐことができるのは、オピニオンリーダー、もしくはネット上のインフルエンサーたちしかいない。
いったいソースは、どこなのか?
政治家とは、誰か?
原発関係者って、誰だ。
責任あるトップか。
それとも元職員か?
こういった事実に基づく判断ができるか、どうか?
つまり、情報を発信できるようになったインフラを持ったということは、情報を発信するひと一人ひとりが、成熟した大人じゃないとダメだということだ。
アバターが多かったツイッターに比べて、フェイスブックは本名でリアルだ。
フェイスブックで出会った人同士は、遅かれ早かれ、実際に物理的に対面することになろう。
そうなると、未熟なものは未熟なもの同士で集うし、成熟したものは成熟したもの同士で集うことになる。
どんな世界観を持って、どんな言葉を使っているかで、インフラのなかでの住む場所が変わってくる。
これから急速にフェイスブック人口が増えるだろうが、その際に気をつけなければならないことは、卑劣な人格を言葉にすれば、卑劣な世界に固定化されていくということ。
――今回のように状況が読めない混沌としたなかで、ソーシャルメディアでリテラシーを持って発言できる人、できない人の違いとはどこにあるのでしょう?
歴史に学んでいるかどうか。
それが決め手だ。
現在は、時代サイクルを考えれば、1941年、つまり太平洋戦争が始まった年に似ている。
1日にして、戦時下に入ったと思ったらいい。
こうした危機下においては、戦争を体験した高齢者だけが、何が人間としてふさわしい行動かということを十分に知っている。
しかし、われわれは彼らに学ぶことをせず、耳を傾けなかった。
そんな平和ボケのなかで、自分の利益だけを考えて生きることが賢いという世の中で生きてきた日本人が、こうした緊急時に的確な判断をできるはずがない。
一部の人が食糧を買い占めに走るなど、ある種のパニック状況が起きたが、そのときに最も困る人は誰なのかを考えて行動できるかどうかは、あまりにも難しすぎる。
それにもかかわらず、社会が安定化の兆しを見せているのは、
30~40代のソーシャルメディアスキルの高さ
ではないかと私は感じている。
勝間和代さんがいち早くブログで、
「お互いの批判をするのではなく、情報については、ソースはどこか身元確認や事実確認をして自分自身で判断せよ」
といった旨の発言をしていた。
この発言から考えるに、もしソーシャルメディアがパニックボタンを押さず、理知的な判断ができているとすれば、勝間さん的なビジネスリテラシーや判断能力を自身に根づかせている30~40代の方が合理的な判断を危機の間でもできるようになっているからではないだろうか。
今後のソーシャルメディアは、そうしたスキルをベースにいままでの序章から本格的な第二幕に進んでいくだろう。
■人と人を結ぶ“呼びかけの作法”
「70年前の動乱期」の本だからこそ役立つ
――このたび神田さんが監訳された『伝説のコピーライティング実践バイブル』が出版されましたが、70年前に書かれたこの本をあえていま出版することの意義をどうお考えでしょうか。
この本はコピーライティングの実践集ではあるが、根底には「人と人とがつながり合う」というメッセージがこめられている。
同じ世界観を持つ人と人とがつながるビジネスを展開するうえでの教則本のような位置づけだと考えている。
今後、ボランティアやNGOなどが中核的な役割を果たす社会では、この本に書かれているような“呼びかけの作法”が重要になるだろう。
規模の小さいレベルで活動する人たちが新しい社会を構築し、必要な応援者を集めるときに参考にできる「呼びかけの文例」がこの本にはぎっちり 269例、詰まっているからだ。
これから発展していくコミュニティビジネス、ソーシャルビジネスの日本のリーダーたち、そして動乱の真っ只中にいるみなさんに、ぜひ参考にしていただきたい。
そして、この本の著者であるロバート・コリアー氏(1885~1950)は、第一次世界大戦、世界大恐慌、戦時下経済、軍国主義、第二次世界大戦と、人類にとって悲惨な時代をしたたかに生き抜いた人物である点を忘れてはならない。
本書は716ページという大著だが、そんな困難な状況下でも、モノを「売る」ことができたコリアー氏のたくましさから、我々は必ず悲劇を乗り越えることができるという希望を感じ取れるだろう。
確かに、70年以上前の1937年に出た本であるため、表面的に読めば誤解されてしまう点もあるかもしれない。
しかし私は、70年前の本だからこそ、危機的状況あるみなさんに活用してほしい本だと考えている。
なぜなら、判断の難しい時代や究極の選択を迫られながらすごした人は、同時代にはもはやいないのだから。
そうした意味でも、あなたがこの本を手に取る価値は大きいはずだ。
』
いい言葉があった。
「もはや、世界は日本の物語に取り込まれている」
これまさにそう。
世界の目が日本にそそがれている。
それも復興の過程に。
が、10年では復興しない。
10年程度で復興するくらいなら、価値観の変革はない。
単なる復旧過程に過ぎない。
10年でやっとこさ、古い衣、すなわち価値観を脱捨てることができるだろうというところ。
新しい衣を自らの丈にあうように着こなして浮上するのに、また10年はかかる。
まさに10年で価値観の変革をして復興できれば’奇跡だ。
が、奇跡はない。
新しい衣とは何か。
それを着こなすとは何か。
その一挙一投足に世界が注目している。
その過程一つ一つが次の世界を創る学習材料になる。
失敗することも多々あるだろう。
失敗することの多さが、新しい価値変換をしているという証になってくる。
失敗せず、成功だらけなら、そこから得るものはない。
だが、「失敗を繰りかえす」ということは何か。
そう、「苦しむ」ということである。
日本人の前には「苦しむ」べき、10年が横たわっているということである。
でも、それを越えねばならない。
「鍬を持って、働いて」そしてまた「苦しんで」、
そして10年が去っていく。
その間、奇跡の復興など期待しないほうがいい。
苦しんだ量に比例しての、10年を過ぎてくる明日が復興への道筋である。
奇跡はない。
こつこつ、またこつこつと、である。
20年こつこつこつを続けるとき、身についた価値観の変革と復興が成し遂げられる。
長いと思うことなかれ。
失われた20年とやらをひっくり返して見ればいいことだけである。
== 東日本大震災 ==
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