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● 売り切れでカラになった東京都心にある量販店のカップ麺陳列棚
=11年3月14日
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産経ニュース 2011.4.9 19:34
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110409/dst11040919360059-n1.htm
【喪失 大震災から1カ月】
戦後65年間で最大の国難をもたらした東日本大震災。
1カ月という時間を経て、われわれは今、どんな場所に立っているのだろうか。
発生から1週間に続き、考えてみたい。
<<写真(上)>>
【上】 首都圏パニックは何だったのか 疑心暗鬼が「危機」起こす
揺れが収まるのとほぼ同時に爆発音があった。
千葉県市原市の金融機関に勤める桑折雅彦さん(27)は職場の外へ出ると、数キロ先にあるコスモ石油の巨大な液化石油ガスタンクが炎上し、爆風が全身を覆った。
空へと燃え上がる黒煙…。
あの瞬間、「何か大変なことが起きた」と悟った。
数日後、妻(27)と千葉市の自宅からスーパーへ走った。
レジには行列ができていた。
2リットル入り飲料水6箱(24本)、カセットコンロ用ボンベ15本、菓子パン10個、カップ麺5、6個を30分並んで買った。
「棚から持ち去られていく様子を見ていると、保存できるものは何でも買っておかなければという気になった。
モノを少しでも手元に置いておきたかった」
東日本大震災後、被災地から数百キロ離れた首都圏で起きた食料品や日用品の買いだめ。
ガソリンスタンドでも行列ができた。
消費者庁によると、関東圏向けのガソリンと軽油はすでに、3月21日から平年並みの出荷量へ戻っている。
飲料水は放射性物質(放射能)の影響で依然として平時の8倍の需要があり品不足が続くものの、食料品は納豆やヨーグルトなど加工工場の被災や計画停電のため減産が続く食品を除き平常に戻りつつある。
桑折さん宅の冷蔵庫わきには、ペットボトルや保存食が山積みになっていた。
「妻と『正直、むだに買いすぎたかもしれない』と話すことはある。
あれは一体何だったのだろうと思うこともある。われを失っていたのかもしれません」
■供給増も追いつかず
首都圏の大手スーパーが震災5日後の3月16日、食料品と日用品30品目について需要と供給の状況を調べた。
飲料水の需要は平時の31倍に上り、パスタは27倍、カップ麺は14倍、米は10倍。
日用品ではボンベが30倍、乾電池が16倍だった。
一方で、供給も飲料水が2・5倍、パスタが3・6倍、カップ麺が2・7倍、米が2倍など大半が平時を上回った。
もし、あのとき消費者が冷静に行動していれば、品不足が起きることはなかったといえる。
新潟青陵大学の碓井真史教授(51)=社会心理学=は
「互いの疑心暗鬼から買いだめといった行動を取ってしまう。
スーパーへ行くと品薄になるのではないかと感じ、さらに報道などの情報で裏づけられると、行動が行動を呼んでしまう。
特に首都圏は人口が多いため、一部が動くと連鎖が起きやすい」
とし、こう続けた。
「そもそも、モノが作れなくなったわけではなく、わが国は生産力も備蓄もある。
本当の危機ではないのに危機を起こしている」
同じ大手スーパーが今月4日に再び調査したところ、買いだめが一巡したため、米とカップめんの需要は震災前の3割減、2割減に落ち込んでいた。
トイレットペーパーとティッシュペーパーも1割減だった。
■ベランダへ戻る洗濯物
洗濯物がベランダの物干しざおに翻っていた。
東京都中野区の高台にある一戸建てで暮らす主婦(36)は震災後、放射能から自衛するため洗濯物を屋内で干し、外出時は帽子とマスクを身につけていたが、3週間でやめた。
主婦は
「あのときは新聞やテレビ、ブログ、ツイッター、ママ友の話…とさまざまな情報があふれ、何を信じていいのか分からなくなっていた」
と振り返る。
東海道新幹線は当時、放射能を恐れ西へ自主避難する母子で「疎開列車」と化したが、小学校や幼稚園の新学期をきっかけに多くが首都圏へ戻りつつある。
むろん東京電力福島第一原発の事故はいまなお危機的な状況が続いている。
妻(29)と生後8カ月の長男が滋賀県の妻の実家へ避難する都内の会社員、内野太郎さん(32)は
「目に見えない不安がある。子供のことを考えると危険は避けたい」
と話す。
東京女子大学の広瀬弘忠元教授(68)=災害・リスク心理学=は
「買いだめにせよ放射能からの避難にせよ、政府が『冷静な行動を』と呼びかけたことが意図とは逆に集団心理をあおった。
こうした際に倫理的な呼びかけは逆効果なだけで、政府は買いだめや避難をしなくても大丈夫であることを裏づけるきちんとしたデータを示し、論理的に人々を安心させることが重要だった」
と指摘する。
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『
産経ニュース 2011.4.9 19:01
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110410/dst11041019020037-n1.htm
【喪失 大震災から1カ月】
【中】 被災地でなくてもストレス 「頑張れ」と言われても…
実際に被災したわけではないのに、気持ちが沈む。
埼玉県の主婦、中村滋子さん(32)は東日本大震災以降、やり場のない抑鬱感を抱えて暮らしていた。
「震災後、牛乳や紙おむつがなくなり始めて焦り、計画停電のためどうやって生活をやりくりしようかと悩み、原発事故で当たり前に思っていた空気や水への安心感が揺らいだ」
4歳と2歳、4カ月の3人の男児を育て、買いだめする人であふれるスーパーの行列にも並べなかった。
夫(29)は食品工場に勤めており、計画停電のある日は生産ラインが止まるため休業になった。
中村さんは
「家族の生活リズムも変わってしまったが、子供たちには不安な思いをさせたくないので平静を装った。
それがまたストレスになった」
と話す。
「ロビンソン」など数々のヒット曲で知られるバンド「スピッツ」は、ボーカルの草野マサムネさん(43)が3月17日に「急性ストレス障害」と診断され、4公演を見送った。
所属事務所は
「体験したことのない大きな揺れや続く余震、想像を絶する被害、悲惨すぎる現実が連日報道され、また原発事故の深刻な状況などを感じ、目の当たりにし続けることで過度のストレスが急激に襲いかかった」
と説明する。
■門灯消えた住宅街
東京都内の企業で産業医を務める浜口伝博医師(52)=産業保健=によると、震災後、
「被災地の映像が頭をよぎる」
と訴え、血圧の上昇や微熱が続く患者が後を絶たないという。
浜口医師は
「あれだけの映像を見続ければ衝撃を感じるのは当たり前だ。
被災地に知人がいなくても、日本人であれば身近に思い、つらく感じる」
と話す。
計画停電で街の明かりが消えていることも抑鬱感を引き起こす要因になる。
浜口医師は
「北欧は冬の日照時間が短く『冬季鬱』になりやすい。
東京の薄暗い地下鉄の構内や、門灯がすべて消えた住宅街を歩けば気がめいる。
被災者のために何かをしたいのに何もできないという無力感も後押しする」
とし、こう述べた。
「何もしないとどんどん落ち込むので、やはり体を動かすのがいい。
そのためにはしっかり寝ること、食べることが重要になる」
スピッツの草野さんは快方へ向かっており、13日から公演を再開するという。
■ふんどし一丁から
《みんなで頑張れば絶対に乗り越えられる。日本の力を、信じてる》
民放テレビで震災報道の合間に繰り返し放送されているACジャパン(旧公共広告機構)のCM。
歌手のトータス松本さん(44)が呼びかけ続ける。
事務局によると、視聴者からは「元気が出た」「勇気づけられた」という反響の一方、「同じメッセージが繰り返され、気がめいる」「耳鳴りのように残る」といった制作意図とは異なる声も寄せられているという。
被災地で「頑張れ」と声高に叫んでも、「こんなに頑張っているのに…」といった反応を示す被災者も少なくない。
フランス文学者で筑波大学の竹本忠雄名誉教授(78)は
「大震災の被害そのものはいかに甚大、悲惨であろうとも日本人の忍耐と英知によって必ず克服されるだろう。
外国の援助もあるだろう。
だが、精神の立ち直りはわれわれ自身によってしかできない」
とし、65年前の国難であった敗戦後の体験を話した。
「東京の下町は大空襲で焼け野原となった。
みんなで神社を再建し祭りを行った。
着る物もなくふんどし一丁の男たちが境内に勢ぞろいし、戦災孤児たちと黒山の人垣を作って気勢を上げた。
戦後の復興は紛れもなくあそこから始まった」
そのときの色あせた写真は、現在も社殿に誇らかに飾られているという。
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== 東日本大震災 ==
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