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● 産経フォトパノラマ
http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2011/0401minamisanriku-bousai/
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サーチナニュース 2011年04月02日12時17分
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0402&f=national_0402_043.shtml
震災による日本沈没はあり得ない=中国人有識者
中国社会科学院文学院の李兆忠氏がこのほど、大震災に見舞われた日本について、
「日本沈没はあり得ない」
とする評論を発表した。
中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。以下は同評論より。
大規模災害を目にして、私は人間の力が小さいこと、頼りにならない存在であること、
「人の知恵と力は大自然に打ち勝つ」
「自然を征服する」
などの妄言は苦笑をせざるを得ないことを深く感じたのだった。
周知のとおり、日本は世界中でもっとも危機対応意識が高く、転ばぬ先の杖という事をよく知り、
震災時の対策能力の高い国だったのだが、今はなす術もない。
日本で生活をして日本に対して多くの思い出を持ち、日本と日本文化についての少なからぬ文書を書いてきた者として、今回私は筆の力の無力を感じて「日本沈没」の警告が必ずしも杞憂に終わらぬことを自らの身をもって経験した。
一衣帯水の隣国であり、同じく天災の煩雑なる中国の人間として、ここからどのような経験と教訓を学ぶべきであろうか。
日本の落ちつきある態度と恐慌状態
まず、何といっても日本人の大災害に見舞われた際のあわて騒がず、整然とした落ちついた態度について話をしなければならない。
このような落ちつきのある態度について西側のメディアは
「災害の中の驚嘆(きょうたん)すべき優雅(ゆうが)さ」
と形容しているが、これは人を感動させるものであった。
実際のところこの「優雅さ」には悲しみの含みがあるのだが。
地震と津波の3日後、私は長い付合いのある友人と電話で話をした。
友人は年齢が80歳ほどで両目が失明状態に近い。
友人の朗らかな声からは、恐れやおののきによる不安な響きは少しも感じられず、私に対し何度も感謝の意を述べ、すぐに私に電話をかけなかったことを詫びていた。
ここからも日本人特有の他人に迷惑をかけたくないという性格を感じ取ることができた。
公平に言えば、日本人の落ちつきある態度も相対的なもので、日本人も人であり人類の持つすべての心の弱さをそなえている。
多重の災難(とりわけ放射性物質もれ)によって目の前で挟み撃ちにされた時、日本人はほとんど以前のあの優雅さを保つ事はできなかった。
もし第一波で向きあった災害が地震や津波の如く、たとえ人を死地に追いやると言えども瞬間的に終わりとなる散る桜の花のように日本人の生と死の美学に合致するものならば、日本人にとっては心の準備と対応策の取れるものであった。
ところが第二波の災難の放射性物質漏れ事故は、恐怖の思い出がある上に、それは目で見ることができず、触る事もできず、人の命を奪う事鈍器で肉を割くが如しで、その苦しみの過程はなかなか明けぬ長い夜のようであり、日本人も冷静な態度を保つ事はできなかった。
考えてみてほしい、もし同じような事が中国人の身の上に起こったらわれわれはどのような反応を示すだろうか。
少し前のばかげたデマ、全国に及んだ食塩の買い付け騒ぎは、理性の欠乏、物事を落ちついて考えるという安定力の不足を印象付けた。
現在災難のただ中にある日本と較べると大きな差がある、と言わざるを得ないではないか。
日本は地震や火災が頻発する島国である。
日本の歴史の発展と地震は密接な関係がある。
1923年に関東大震災が発生し、日本の統治者は国土が狭すぎる事、動き回るのに充分でない事を強烈に意識するに至った。
1995年の阪神大地震は、破壊の規模は大きかったが、バブル経済破綻後の低迷の続く日本経済に新たな活力をもたらし、日本の都市構造、市町村の建設の合理化に新たな契機をもたらした。
これらから見て取れるように、地震は日本人の、変に処して驚かず凶事に逢って吉と変えるという能力を養成した。
それは『日本沈没』の作者が書いているように
『ある意味では、毎度の地震と戦争の災難を経る度に日本の面目は一新され、ここから大きな歩みで前進するのだ』。
では今回はどうか。
私は預言者ではないし、日本問題の専門家でもない。
しかし以下の事は確信する:
日本の今回受けた損害は史上例のないものであり、その試練も前例のないものである。
元気を回復するにはかなりの時間がかかるだろう、しかし一旦放射性物質漏れの危機がコントロールされるに至れば、日本社会は迅速に正常な姿に復帰し全ての事が新たに開始される、と。
』
好意的な文章であるが、やはり日本はある期間は沈没するだろう。
個々のさまざまな数字を積み上げていけばそれは一目瞭然。
その期間がどのくらいになるかは、ひとそれぞれの推測になるが、あの津波と放射能汚染の惨状を見て
日本沈没はない
とは言えない。
日本人としては、
一度沈没することによって、出直しをはかりたい
というのが本音だろう。
というより、そうするしか道はない、と心の奥底で感じているとおもう。
もうダメだ、まずは沈んで傷を癒そう、と。
このまま浮き上がっては、事の何の解決にもならない。
日本特有の「反省の精神」が生かされ、そこから再びよみがえる、というのが民族のビヘイビア・パターンである。
反省もせずに蘇ったら、この災害の意味を問うことすらもできない。
そのことは、被害を受けた日本人が最もよく知っていることである。
『
レコードチャイナ 2011-04-02 12:42:11 配信
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=50357
2011年4月1日、環球時報は沖縄大学の劉剛(リウ・ガン)教授のコラム
「日本の災難が中国に大きな教訓を与えてくれた」
を掲載した。
以下はその内容。
地震、津波、そして原発事故。
日本はあっという間に混乱の渦に巻き込まれた。
日本とは一衣帯水の隣国である中国にとってこの複合型災難は多くの教訓を与えてくれる絶好の機会となった。
第一の教訓は:
社会の安全にかかわる重大な産業は絶対に民営企業に任せてはならないということ。
原発事故問題は天災というより人災の側面が大きい。
地震前から指摘されていた福島原発の問題、事故後の不作為、海水注水判断の遅れなど東京電力は民営企業としての弱点をさらした。
第二の教訓は:
国民は自らの力で災難を乗り切らなければならないということ。
日本国民は冷静に対応したが問題も多かった。
テレビを見ると被災地では単に助けを待つばかり。
現代生活に慣れすぎたのか廃材で暖をとるなどの工夫が見られなかったようだ。
第三に:
中央政府と地方政府は有効かつ密接な連絡を取り合う必要があること。
柔軟さにかける日本の制度が災いした。
第四に:
災害情報の伝播と将来的な災害規模の予測。
中国はより近代的な情報設備を普及させる必要があり、また予想される災害に耐え得る設備を整えなければならない。
これもまた日本が与えてくれた教訓だ。
第五に:
地方政府が住民情報を掌握しておくこと。
ひとたび災害が起きればその情報に基づいて救援活動を行う必要があり、人口管理はきわめて重要だ。
今、日本の 54基の原子力発電所は日本と国際社会にとって深刻な「核の脅威」をもたらしている。
同様に中国が保有し建設を始めている数十基の原子力発電所をいかに管理するかも重要な問題となった。
』
今度の日本の災害については、実に多くの報道がなされている。
ごくあたりまえの人が撮ったさまざまな映像がインターネットに流れている。
それはまったく規制されていないものである。
多くの外国の人々が、それをみて考えることがあるだろう。
そこからできるかぎりの教訓を学びとれる。
特に太平洋周辺国は地震災害の多発地域である。
この災害が多くの安全教訓を残してくれることを期待しよう。
『
サーチナニュース 2011/04/02(土) 09:18
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0402&f=national_0402_015.shtml
【台湾ブログ】政府の努力と国民の団結でできた日本の助け合い文化
「3月11日に発生した日本の大地震は、1999年の台湾921大地震の275倍以上の破壊力を持つ災害だった!」と衝撃を受けた、台湾の女性ブロガー貴婦奈奈(ハンドルネーム)さん。
人間の無力さ、秩序を守る日本人に感服したなど思いをつづった。
「津波にのまれる時の人間は、まるで灰塵(かいじん)のよう。
天災の前ではなんの抵抗もできず、ちっぽけな存在だと痛感した。
呼吸できることに感謝し、ありがたいと思った方がいい」
と述べた貴婦奈奈さんは、東日本大震災の被災地の状況がわかる多数の画像や動画を、ブログに貼り付けている。
「地震発生後、日本の気象庁は情報を公開し伝言板を開設。
Googleマップが避難所の場所を公開するなど、素早く行動した。
日本旅行に出かけた友達がいたが、成田空港到着直後に地震に遭った。
でも友達はまったく怖い思いをしていないと言い、しっかりとした対応を受けたと報告した。
“日本にいたが被災地という雰囲気は全然なかった。
日本人はパニック状態にならず、客へのサービスを忘れない。
食料や毛布を配布され、安心した”という新聞記者のコラムを読み、こんな時でも秩序が守られるのは、信じられない。
本当に不思議」
と思ったという貴婦奈奈さん。
「天災の前で人間は無力だが、努力は必要。
我々台湾人は、日本のような大地震に見舞われた時しっかりと対処できるのだろうか?」
と不安を覚えたそうだ。
そして、
「被災地の状況は、まるでこの世の終わりを迎えたかのよう。
でも被災者の方たちが秩序を守って助け合う姿に、希望の兆しを見た気がする」
とつづった。
サービス業に関する日本の書籍をよく読んでいる貴婦奈奈さんは、
「接する人の気持ちを常に大切にする日本人には、いつも感服する。
災難に直面している時さえ、その精神は変わらない」
と痛感したという。
「新宿にいるホームレスは日頃使っているダンボールを困っている人々に分け与え、食べ物や水を無償で提供した企業も多い。
政府の努力と国民の団結によって築かれた日本の助け合い文化は、長期間かけて培われた産物だ」
と力説した貴婦奈奈さんは、
「これまでも多くの地震を経験してきた日本政府は、防止策や教育に力を入れてきた。
例えば建築基準法は、95年の阪神・淡路大震災を教訓に改正された。
耐震性のある材料で建物を造らなければいけないのだ。
ほかにも災害対策基本法があったり、大企業の工場は災害時には自動閉鎖されるなど、費用をかけて地震を研究し対策を練ってきたのだ。
阪神・淡路大地震後、非常時の持ち出しバッグを準備している国民が多い、ということも聞いた」
という貴婦奈奈さん。
「日本人は団結が強く、服従心もある。
そしてすべての政策をスピーディーに遂行し、態度は常に冷静」
と日本人を褒め、
「災難を予測することはできないので、これからは毎日を大切にしながら生きていこうと誓った」
とブログを締めくくった。
大震災に見舞われた日本から、多くのことを学んだようだ。
』
うれしいですね、こういう書き込み。
涙がこみ上げてくる。
== 東日本大震災 ==
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